事務連絡:メインブログの「たけちゃんのあんなことこんあこと」から、お酒関係の記事および性的表現が含まれる記事をこちらに転載しました。
ツイ廃なのですっかり遅読ですが、やっと第四巻を読了しました。全五巻なのでもう少しで全巻完了です。
前回書いたように、第三巻は第二巻の執筆から20年以上経っている感じです。従ってバブル崩壊や、イギリスの没落も話の前提として出てきます。舞台が未来のイース星ではありますが、筆者の今置かれている環境は顕著に現れます。むしろ、沼正三は今書いている時に世の中で起きていることを積極的に取り込んできます。第二巻での第三次世界大戦も1960年代の日本人はみんなまじめにそうなることを信じていました。
ただ、英帝国至上主義がそもそも話のベースに有るはずなのに、1990年代になると、イギリスの世界覇権は殆どなくなっているので、そのへんは苦慮しているようです。
黒奴の娯楽
黒奴にも風俗が有りました。これは、「オナンコ」といいますが、いわゆるVRによる擬似性体験によるオナニーマシンなのです。そして、精液は皮革製品を磨くクリームとして使うために採集されます。
面白いのは、黒奴のオナニーネタは一部は仕えている女主人との性交ですが、ほかのネタとしては、黒奴が鞭打たれて馬として走らされるというのも有ることです。黒奴は鞭打たれ、白人に隷属することで性的興奮を得るように条件付けされていたのでした。
奴隷として完成してゆく麟一郎
第三巻ではVRにより、クララと同じ映像を見ることで、クララの目を通してヤプーの置かれた奴隷の立場を理解してゆく麟一郎ですが、第四巻では、自分の意志として、クララの奴隷として使われることを望んでゆくようになります。
最後には、クララに跪き、セッチンとして使ってくれるように懇願するところまでゆきます。第三巻でVRによってクララとテレパシーが通うようになっているのですが、第四巻では、麟一郎を「ヤプーとして」愛玩するクララと、クララを「主人として」慕う麟一郎の立場がはっきりしてきます。
ヤプーの種類はますます増え、花の肥料としての役割しか持たないヤプーや、白人に食べられるために飼育されるヤプーが登場しますが、麟一郎はそれらとは明らかに一線を画して、クララとの間に精神的な絆を持つ関係が描かれているので、読んでいて少しだけほっとする部分です。
時代考証の自由さ
普通のSF作品だと、未来人の過去への干渉はパラレルワールドを生み出すものとしてタブー視されているのですが、沼正三はそんなことにはお構い無しで、イース人は自由自在にヤプーの過去に干渉します。第三巻で出てきた、天照大神が実はアンナ・テラスというイース人だったことを手始めに、観音菩薩がキャノン・ダイシーであったり、空海や織田信長もヤプーの先祖である日本人が将来的に白人に都合の良い性格や宗教観を持つために未来から干渉したのだと描かれます。
過去への干渉はパラレルワールドを生み出すものとしてタブー視されている一つの理由は、過去と未来が帰納法的に結合することで事象が絡みあって解りにくくなることがあるのですが、沼正三の場合、その途中に「現在の日本の状況」を上手く挟むことで、読者の想像力がついてこれなくなることを上手く回避しています。
白人へのコンプレックス
第四巻は1990年代の出版で、執筆はバブルが弾けた頃と思われます。それにもかかわらず第一巻、第二巻と同じレベルの英国人へのコンプレックスが貫かれています。
そして、そこここに東京裁判によって、ヤプーに原罪が刷り込まれたと記されています。東京裁判は昭和23年の出来事なのですが、沼正三にとっては20年たっても30年たっても忘れられない屈辱的事件だったのでしょう。一方で、ニュルンベルグ裁判については、ドイツ人を裁いたものでは無いこと、ヒトラーは未来から送り込まれたヤプーに操られたものであるとして、ドイツ人は原罪をもっていないと断じています。
いよいよ最終巻
そして、第四巻で既に自らクララのセッチンになりたいとまで言うようになった麟一郎ですが、最終巻では正式にクララの専属奴隷として完成します。
どのような奴隷になるのか楽しみになってきました。