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感想文 家畜人ヤプー 第五巻 沼正三 著

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ついに全巻読了しました。読み始めたのは5月半ばですので、文庫5冊読むのに3ヶ月かかっています。本を読むのは毎日の電車の中、あるいは出張時の飛行機の中なんですが、日々の電車の中では殆どTwitterを見て過ごしてしまっておりますが、それにしても遅読です。

今回は、かなりのネタバレを含みます。

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1.ついにリンが自ら奴隷化を熱望する

第五巻の最大の山場が、最終章でのリンとクララのやり取りです。第二巻の途中から、クララは既にリンのことを「人間:瀬部麟一郎」ではなく「家畜ヤプー:リン」として見ています。第三巻、第四巻を通じて、リンにはクララの思っていること、見ていることを脳内に直接感じることが出来る読心能が備わってくるので、リンはその事を理解しています。そして、かつては(といってもつい2-3日前)お互いを恋人として認め合っていたクララが、今は自分のことを犬と同じ家畜としてしか見ていないことを知り、リンは最初のうちは戸惑い、憤りを感じています。ところが、クララと主従関係の中で段々と「奴隷であったとしてもクララから離れたくない」「クララの奴隷として過ごしたい」と考えるようになります。

セッチン願望

リンの奴隷願望は二段階に渡って進みます。第一段階は、「セッチン願望の吐露」です。リンはクララと常に帯同して行動していますので、クララがセッチン(便器ヤプー)を使って排泄行為をしている状況にも立ち会っています。そのうち、「クララの排泄物を自ら処理したい」という願望が芽生え、クララに戸惑いながらも伝えることになります。クララはリンを家畜として使うなら、セッチンとしても使いたいと早い段階で考えていたので、その願いをかなえ、聖水を与えることになります。リンはクララの聖水を咽ること無く嚥下することで誇らしいような満足感を感じることになります。

家畜化願望

最後の最後でどんでん返しのようなシーンが有ります。クララはこのままリンを家畜として飼うことになりかとおもいきや、クララからリンへの衝撃的な告白があります。曰く、「このまま家畜になるよりも、20世紀の地球に戻って人間として暮らしたほうが幸せではないか、もしリンがクララと離れて20世紀の日本に戻るのであれば、クララはその実現をサポートする」というものです。クララはリンを家畜として扱う一方で、まだ婚約者の瀬部麟一郎へ向けての愛情もあったことが分かり感動する場面です。

ところが、リンはこれを明快に否定します。彼は「クララと離れて生きていく事には意味が無い、たとえ家畜であってもクララの近くで暮らしてゆきたい」と告白します。

ラブストーリーとして捉えるのであれば、どんな境遇であろうとも愛する人とは離れたくないという純愛物語になるのですが、実はここで麟一郎は既に「支配される悦び」を知ってしまっています。クララに家畜扱いされ、排泄物をその口で処理し、足置きや椅子になり、粗相があれば鞭撻されることは、麟一郎にとっては苦行ではなく悦びになっているのです。

おそらく、この感覚は、精神的にマゾである読者に対しては、直ぐに理解できる感覚でしょうが、一般の感情を備えた読者(おそらく、大多数の本ブログの読者も含まれると思います)には理解しづらい環境なのだと思います。それが故に、作者は第三巻、第四巻、第五巻と物語の後半全部を最後の麟一郎の告白を理解させるために費やされているのだと思いました。

あいにく、僕はこんなに長い前置きがなくても、隷従する悦びという感覚は直ぐに理解できてしまったのですが、一方で直ぐに理解できる人が少数派であろうことも理解できました。

2.ヤプーの中でも特別な存在であるリン

もし、リンが他のヤプーと同じように目的のために肉体を改造され、使い捨てられる存在にされてしまったとしたら、読者はリンに感情移入することは出来なかたものと思います。リンはヤプー:家畜として生きていくことを自ら選択しましたが、その存在はヤプーの中でもかなり特殊な存在でした

肉体の改造が最低限に留められている

皮膚は強化され、去勢はされましたが、その他の部分は肉体改造されておらず、外見上は裸体の人間と変わりません。その他のヤプーが椅子やセッチンとして利用に合わせた形態に肉体改造されているのに比べると、この存在はかなり優遇されています。

最愛のクララから独占的な寵愛を受け続ける

ここが、他のヤプーと最も異なるところです。セッチンや部屋付きのヤプーは確かに特定の主人に仕えるようになっていますが、ヤプーは主人を選ぶことが出来ません。一方で、リンは瀬部麟一郎であった時に婚約者であり、最愛の人であるクララが主人です。他のヤプーに比べると、「使われることの悦び」が大きいことは言うまでもありません。

この二つの要因によって、読者も麟一郎=リンに感情移入して読むことが出来るのです。マゾヒストにとって、最愛の人に隷従することは悦びであるということは、マゾ属性を持った方には理解していただけるだろうと思います。

全編を通じて、第二次世界大戦で米英に敗れたことによる、日本人としての民族的劣等感が強烈に表に出てきており、それゆえに、日本神話である天照大神や瓊々杵命、伊邪那美命、伊弉諾尊も英国人の末裔であるイース人やイース人の家畜であった原ヤプーが過去に干渉した結果であるというトリックもあるのですが、そのような民族的優劣や、イースでは支配階級がすべて女性に占められ、男性は配偶者として女性に付き従うものという設定など、前提やトリックがいろいろとありますが、突き詰めてしまえば、「好きな人の家畜として飼われることは、マゾヒストにとっては至幸なことである」事を言うための舞台装置でしかありません。

言いたいことはこの一点に絞られているからこそ、執筆開始からは既に60年経ち、脱稿からも30年以上経っているにも関わらず、まだ人々に愛読されているのだと思います。

 

最後に

全編を通じて、官能小説にあるような行為の描写はほとんどありません。つまり、SM小説に有るような、緊縛し、鞭打ち、監禁するようなシーンを期待していると退屈してしまう事と思います。全ては精神的に隷従することの幸せと充実感を理解させるために書かれた小説だと思います。

 

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